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A5・160ページ・本体価格1800円・高文研
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内 容
強制連行とは、つまり「拉致」にほかならない。
日中の過去に刻まれたこの歴史事実を、ぜひ知ってほしい!
アジア太平洋戦争で日本が強制連行したのは、朝鮮半島からだけではなかった。
国内の労働力不足を補うため、政府は中国からも連行、軍需工場や鉱山で過酷な労働を強いた。その数、およそ四万人。
それから半世紀余、何の謝罪も補償も得られないないまま年老いた“生き証人”たちを華北の現地にたずね、その現状と声を伝える!
・はじめに
・生き証人の写真と証言が問いかけるもの〈小野寺利孝〉
・中国から強制連行されてきた人たちが投入された日本国内135の事業場
・中国人強制連行──歴史的事実と証言
1. 放置された日本の戦争責任
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・ 初めての出会い─劉連仁判決
福岡訴訟弁護団の訪中に同行して
画期的な福岡地裁判決の波紋
農村取材でのハプニング
中国側研究者の話
2. 華北に被害者を訪ねて─証言と肖像
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・ 張宝恒さん─連行先=福岡・三井田川炭鉱
劉樹格さん─連行先=群馬県・間組
趙宗仁さん─連行先=北海道・熊谷組
孫徳禄さん─連行先=北海道・熊谷組
陳桂明さん─連行先=福岡・三井三池炭鉱
宋君政さん─連行先=北海道・三菱鉱業美唄
3. 裁かれる強制連行の歴史
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・ 一九四五年八月二〇日付の政府文書
『幻の外務省報告書』
全国八カ所で進行する裁判
求められる日本の誠意ある解決 ・あとがき
・参考文献
担当編集者より
新刊『中国人強制連行の生き証人たち』をご案内させていただきます。
アジア太平洋戦争下の強制連行というと、朝鮮半島からの強制連行が頭に浮かびます。じっさい、日本政府の資料でも72万もの人々が強制連行され、日本国内各地の炭鉱や鉱山、土木建設の現場、軍需工場に投入されたのでした。日本人の青壮年のあらかたを軍に動員したため、国内の労働力が払底したからです。
しかし、強制連行は朝鮮からだけではありませんでした。中国からも連行し、やはり炭鉱や鉱山、軍需工場で強制労働させたのです。その数およそ4万人、うち7千人が苛酷な労働と待遇のため命を奪われました。
にもかかわらず、この強制連行・強制労働の実態は長い間闇の中に封じ込められてきました。その全体像がようやく明らかになったのは、いまから10年前、NHKテレビで「幻の外務省報告書」が放映されてからです。以後、謝罪と補償を求めて、被害者による訴訟が提起されました。現在、北海道、新潟、長野、群馬、京都、広島、福岡、東京の8カ所で裁判が進行中です。
強制連行の被害者たちはいまや高齢ですが、それでもまだ多くの人が存命です。本書は、その強制連行の生き証人たちを中国・華北の地に訪ね、カメラに収めるとともに、その体験と訴えを記録したものです。
被害者たちが連行されたときの経緯は、たとえば道を歩いていて突然日本兵に捕らえられた、市場にいたときに日本軍に包囲されて捕らえられた、また「よい働き口がある」とだまされて連れて行かれたといったケースがほとんどです。文字通りの強制連行でした。
昨年秋いらい、北朝鮮政府による日本人「拉致」が大きな問題となっています。人間狩りともいえる「拉致」が、絶対に許されない非人道的犯罪であることはいうまでもありません。しかし歴史を振り返れば、私たちの国もまた政府の方針として4万人もの中国人を「拉致」し、奴隷労働を強制していたのです。
本書カバーの巨石に鎖を巻き付けた写真は、中国・河北省の石家庄(石家荘)にある強制連行の記念碑です。中国人強制連行の事実は、日本人にはあまり知られてはいませんが、中国人には忘れられない痛みとして刻まれているのです。
私たち日本人には辛い事実ではありますが、隣国との真の友好を築くために、一人でも多くの人にこの歴史の事実が知られることを願っています。
梅田正己
価格:¥2,000 発行 牧歌舎 発売 星雲社
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内 容
小学校2年生で旧満州へ移住。昭和20年敗戦。14歳歳だった著者は約1年の浮浪生活を送った。
敗戦前後、「満州」での死者は24万5千人。内18万5千人が民間邦人であった。
自身も生命の危機にさらされ、多くの死に遭った著者が綴る鎮魂の書。
目 次
一 谷間の小さな世界
二 大陸に生きる人々
三 太平洋戦争
四 国境の街
五 戦況の悪化
六 敗戦、ソ連軍占領下の人々
七 厳冬の奉天
八 引き揚げ
道連小樽支部にて1800円(送料込)で販売しております。
メールかFAX、電話にてお問い合せ下さい。
小樽支部 TEL(FAX)・・0134-26-0087
E-mail: info@nicchu-doren.org神成洋著「一少年の15年戦争」について
日中友好協会北海道連副会長 相場 実
この本を読みながら、かたわらに中国東北地方(旧満州)の地図を置いて神成さんの足跡を追った。
小二の時、母とともに釜山に上陸し、朝鮮半島を縦断、丹東、奉天(現審陽)、新京(現長春)、ハルビン、チチハル、克山に至った。国境のまち黒河で小学校を卒業している。
彼が住まいしていた克山農事試験場と小学校は郊外にあり、近くの日本軍守備隊に守られていた。
神成さんと一緒に、二、三年前に訪れたとき、小学校も試験場もそのまま機能していた。
コンクリートのトーチカも残っていて、道を挟んだ場所に解放軍戦没者墓園があった。
コーリャンが実る頃、神成さんたちはたびたび「匪賊」に襲われる。駅舎、兵舎、監獄などが狙い打ちされ、平然と構えている。
中国の雇用人の描写から、政治的に組織された「共匪」ではないか、と私は想像する。
敗戦から引揚げまでの一年間、厳冬期を経験した奉天の神成さんの生活は圧巻である。またしても私は審陽市の詳細図を広げて、追体験に熱中した。
新京南西70キロの公主嶺農学校二年で敗戦を迎えた彼は、学校あげての脱出、解散、独り身の生活、と激動にもまれる。
そうしたなかで生きる全てを得てゆくしなやかさは、東京市ヶ谷下町育ちでつちかわれ、銃火に晒され、鍛えられたことにあるのではないか。
コロッケ売り、日本人街から古着の仕入れ、賭場の借金取り、国府軍将校のボーイ、武器の運搬などで彼は必死に生きてきた。周りは死が日常の世界だ。そして本書は鎮魂歌でもある。
私も小さい頃、父のあとについて北海道の農事試験場を渡り歩いた。父は満州に移りたかったらしい。そうなれば神成さんと巡り会ったかもしれない。本書は私の分身のような気もする。
これから二人とも無事であれば、列車にのって黒河の農事試験場と小学校に行ってみたい。