中国人殉難者全道慰霊祭世話人(敬称略)

 

和 田 健 夫 小樽商科大学学長
佐 藤 聖一郎 仁木町長
山 下 敏 二 仁木町議会議長
嶋    保 余市町長
中 松 義 治 小樽市長
高 橋 幹 夫 美唄市長
道 房   裕 真宗大谷派北海道教区北三組長・威光寺住職
宮 川   潤 札幌市議会日中友好議員連盟副会長
大 橋   晃 勤医協中央病院名誉院長
工 藤 富美子 新日本婦人の会北海道本部会長
黒 澤 幸 一 北海道労働組合総連合議長
児 玉 健 次 日本共産党元衆議院議員
今    重 一 弁護士・今法律事務所所長
高 崎   暢 弁護士・たかさき法律事務所長
多 田 崇 子 医師・札幌いしずえ会会長
寺 井 勝 夫 小樽多喜二祭実行委員長
寺 本 千名夫 専修大学北海道短期大学前学長
棟    徹 夫 北見工業大学名誉教授・戦争を語り継ぐ小樽市民の会会長
秦    利 器 日本キリスト教会苫小牧教会牧師
名 知 隆 之 北海道労働組合総連合議長
浜 林 正 夫 一ツ橋大学名誉教授
平 山 耕 佑 北海道高等学校退職教職員の会会長
松 原   剛 10.9中国人殉難烈士慰霊の集い実行委員会代表
森    常 明 医師・仁木町森内科胃腸科医院理事長
守 屋 敬 正 日本国民救援会北海道本部会長
吉 田 邦 彦 北海道大学大学院法学研究科教授
渡 部  勤 全日本年金者組合北海道本部執行委員長
長 尾 光 之 日本中国友好協会会長
斎 藤 康 治 日本中国友好協会北海道支部連合会会長

 

第49回中国人殉難者全道慰霊祭についてのお問い合せ先

 

事務局 中国人殉難者全道慰霊祭事務局
日本中国友好協会北海道支部連合会
札幌市白石区菊水3-3(TEL・FAX 011-814-8658)
札 幌 011-814-8658(支部)
函 館 0138-55-1609(大淵)
小 樽 0134-25-1301(支部)
0134-26-0087(鴫谷)
追 分 01452-5-3680(水間)
苫小牧 0144-72-5348(伊藤)
室 蘭 0143-43-6330(松原)
三 笠 01267-2-2332(岩崎)
美 唄 01266-3-2836(供野)
帯 広 0155-31-6263(坂本)
釧 路 0154-46-2136(原)
旭 川 0166-35-8085(千葉)

 

中国人強制連行者数および死亡者数

 

事業場 連行人数 死亡者数 死亡率
1 北炭・空知天塩 300 136 45.3
2 土屋・天塩 600 47 7.8
3 土屋・伊屯武華 594 11 1.9
4 地崎・伊屯武華 496 16 3.2
5 地崎・北海道 106 2 1.9
6 地崎・置戸 290 0 0
7 伊藤・置戸 499 104 20.8
8 野村・置戸 492 24 4.9
9 鉄工・計根別 312 9 2.9
10 土屋・雄別 253 5 2
11 菅原・門静 568 18 3.2
12 地崎・東川 338 88 26
13 三井・芦別 684 245 35.8
14 川口・芦別 600 278 46.3
15 鉄工・美唄 415 91 21.9
16 三菱・美唄 289 29 10
17 三井・美唄 597 163 27.3
18 井華・赤平 287 46 16
19 川口・赤平住友 300 42 14
20 川口・上砂川 299 86 28.8
21 伊藤・上砂川 395 19 4.8
22 三井・砂川 435 46 10.6
23 地崎・上砂川 294 51 17.3
24 井華・奔別 230 18 6
25 鉄工・神威 391 115 29.4
26 川口・豊里 200 52 26
27 土屋・幾春別 289 7 2.4
28 地崎・平岸 580 10 1.7
29 菅原・幌内 366 2 0.5
30 明治・昭和 200 9 4.5
31 北炭・空知赤間 284 42 14.8
32 土屋・岩見沢 295 1 0.3
33 菅原・小樽 371 5 1.3
34 港運・小樽 232 8 3.4
35 川口・脇方 292 27 9.2
36 日鉄・北海道 300 11 3.7
37 鹿島・玉川 200 21 10.5
38 日鉄・大江 200 18 9
39 三菱・大夕張 292 84 28.8
40 地崎・大夕張 388 148 38.1
41 鉄工・室蘭 439 127 28.9
42 川口・室蘭 969 309 31.9
43 港運・室蘭第一 147 31 21.1
44 港運・室蘭第二 99 29 29.3
45 港運・室蘭第三 202 67 33.2
46 北炭・平和真谷地 433 61 14.1
47 北炭・平和角田 294 76 25.9
48 地崎・大野 218 2 0.9
49 瀬崎・有川 299 21 7
50 鉄工・鹿部 460 21 4.6
51 荒井・国縫 192 24 12.5
52 荒井・峠下 96 16 16.7
53 荒井・落部 285 17 6
54 地崎・落部 217 1 0.5
55 地崎・函館 225 9 4
56 東日本・函館 431 4 0.9
57 菅原・函館 396 30 7.6
58 港運・函館 475 68 14.3
総  計 20,430
実数
16,282
3,047 18.7

 

中国人殉難者全道慰霊祭のあゆみ

 1966年10月29日 除幕式、大谷瑩潤氏出席 250名
 1967年 9月16日 130名
 1968年 9月15日 130名
 1969年 9月14日 100名
 1970年 9月19日 70名
 1971年 9月12日 70名
 1972年 7月 9日 70名
 1973年 7月 8日 80名
 1974年 7月14日 トド松60本植樹 100名
 1975年 6月29日 10周年記念行事友好碑・石垣修理 120名
 1976年 8月29日 75名
 1977年 8月21日 72名
 1978年 8月27日 83名
 1979年 9月 2日 120名
 1980年 7月13日 ブロック塀修理 85名
 1981年 7月 5日 土台補修 105名
 1982年 7月 4日 門柱修理・ブロック塗装 102名
 1983年 8月28日 碑面修理 107名
 1984年 7月 1日 太極拳による慰霊始まる 93名
 1985年 7月 7日 20周年記念行事 82名
 1986年 7月20日 土台・塀補修 73名
 1987年 6月28日 碑の再建除幕式を挙行
土台及び案内板の全面改修
108名
 1988年 6月19日 植こみ縁石設置 87名
 1989年 6月18日 「北海道での中国人強制連行」出版 81名
 1990年 6月24日 ハマナス植樹 104名
 1991年 6月23日 門柱笠とりかえ 114名
 1992年 6月21日 「戦時下における中国人強制連行の記録 135名
 1993年 6月20日 園内の砂利敷替え 124名
 1994年 6月19日 「室蘭における中国人強制連行
・強制労働の記録出版
153名
 1995年 6月18日 友好碑土台修理 140名
 1996年 6月23日 駐札幌中国総領事館より趙賓田領事参列 148名
 1997年 6月22日 呉竹渓氏参列 164名
 1998年 6月21日 劉連仁氏参列・中国領事館より
祝啓平領事参列
172名
 1999年 6月20日 許愛平領事参列・高校生グループ
折鶴 3,047羽を供える
150名
 2000年 6月18日 李建民領事参列
北海道高校生平和ゼミナール代表参加
142名
 2001年 6月17日 王定国主席領事参列
高校生平和ゼミナール折り鶴3,047羽
148名
 2002年 6月16日 王定国主席領事参列
高校生平和ゼミナール折り鶴3,047羽
128名
 2003年 6月15日 王定国主席領事参列
高校生平和ゼミナール折り鶴3,047羽
142名
 2004年 6月20日 王定国主席領事参列
高校生平和ゼミナール折り鶴3,047羽
133名
 2005年 6月19日 王定国主席領事参列 136名
 2006年 6月18日 日中友好協会熱海支部山下氏参列
鳳儀萍氏のメッセージ届く
132名
 2007年 6月17日 許愛平領事参列 136名
 2008年 6月22日 許愛平領事参列
鳳儀萍氏招へい、各地で交流
171名
 2009年 6月21日 許愛平領事参列
足永昭氏招へい、中国人参列者80名を超える
203名
 2010年 6月27日
9月 2日
李涛領事参列
「慰霊観音像」を(天津)「在日殉難烈士・労工紀念館」に奉納安置する
183名
 2011年6月26日 劉志堅主席領事参列 152名
 2012年6月24日 張玉萍主席領事参列 133名
 2013年6月30日 李涛領事参列 135名
 2014年6月29日 李春首席領事参列、劉強副領事、佐藤仁木町長など参加 136名

北海道における中国人殉難者と慰霊祭の経過

 太平洋戦争開始後約1年たった1942年11月27日、時の東条内閣は日本国内の重労働に従事する労働力の不足を補うために、中国人を強制連行することをきめました。この方針によって、中国の河北、河南、山東、山西など十数省から一般住民および軍事俘虜が日本に連行され、苛酷な強制労働に従事させられました。
 その数は、少なくとも、41,762名と考えられ、このうち乗船した数は38,939名です。
 北海道には、16,282名が、58の事業場に連行され、その配置総数は20,430名です。その内死亡者は3,047名で死亡率は18.7%にも達しています。これは当時の日本人の死亡率1.631%にくらべると、恐るべき数字であることが分かります。しかもこれは、わずか1年ほどの間のことですから、もし戦争が長引いていたら、連行された中国人はおそらく全滅したと思われます。

 戦後になって日本国民は侵略戦争を深く反省しました。1953年「中国人俘虜殉難者慰霊実行委員会」(大谷瑩潤委員長)を結成し、中国人強制連行事件の調査と遺骨収集送還運動を大規模に展開しました。
 北海道でも同年6月に「北海道中国人俘虜殉難者慰霊実行委員会」が結成され、全道58事業場の綿密な調査と遺骨の発掘・送還が行われました。また各地に中国人殉難者の慰霊碑が建てられ、慰霊祭も行われました。

 こうした運動の一環として、日本鉱業大江鉱山の殉難者18名(船中死亡5名・大阪駅で死亡1名を含む)の慰霊碑が後志管内仁木町に建立されました。
これは日中友好協会小樽支部と北海道支部連合会が中心となり、広く道民各層の支援のもとに実現したものですが、また、当時の仁木町長高木太一氏も絶大な尽力と同町議会、同役場職員の並々ならぬ協力も忘れられないところです。

 1966年10月29日の盛大な除幕式以来、毎年盛大な慰霊祭が挙行されています。「日中不再戦友好碑」という言葉どおり、単なる慰霊ではなく、再び戦争の道に進むことのないよう決意を固めたいと思います。
皆さんのご参列を心よりお待ちしています。

第49回(1966-2014) 中国人殉難者全道慰霊祭 中国人強制連行の犠牲者3,047名の追悼を

日本軍国主義政府は、中国への侵略戦争で、中国人民千数百人を殺し、中国人約四万人を日本へ強制連行し、そのうち六千八百余人を死に至らしめました。
 今年も、第45回中国人殉難者全道慰霊祭を行います。
 生きて再び祖国に帰ることができなかった中国人犠牲者三,〇四七名の方々を供養し、二度とこのような悲劇をくり返さない、日中友好のねがいを新たにします。
あなたのご参列を待っています。