第49回中国人殉難者全道慰霊祭 盛大に – 仁木町

第49回中国人殉難者全道慰霊祭は、2014年6月29日、仁木町の中国烈士園の日中不再戦友好碑の前で、全道各地から136人が参列し、盛大に挙行されました。
浄土真宗北海道教区北3組5か寺の5人の住職が読経。

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5か寺の住職の読経

 

読経が流れる中、慰霊祭世話人の和田健夫(小樽商科大学学長)をはじめ、李春(中華人民共和国駐札幌領事館主席領事)、劉強(同副領事)、佐藤聖一郎(仁木町長)、山下敏二(仁木町議会議長)、席占明(北海道札幌華僑総会代表理事)、周玉蘭(北海道華僑人婦人会 会長)など参列者一人一人が壇にあがり碑前に進み、犠牲のなられた中国人殉難者をしのびつつ、日本、中国の平和友好の草の根の願いを込め焼香しました。

佐藤聖一郎(仁木町長)氏は「慰霊のことば」で「先の大戦から学び取った貴重な教訓をかみしめ、日中両国民の相互理解・信頼をさらに深め、世界の平和に貢献しなければならない」と述べられました。

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奉読する李春主席領事

 

中国領事館の騰安軍(総領事)氏から寄せられた「追悼のことば」をご名代の李春(主席領事)氏が奉読されました。

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挨拶する和田学長(小樽商科大学)

また、高橋はるみ(北海道知事)、加藤礼一(北海道議会議長)など九氏からの弔文が報告され、清水紫さんの追悼歌「紅き花燃ゆ」が捧げられました。

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慰霊の太極拳表演

 

中国人強制連行事件北海道訴訟の支援

中国人強制連行事件とは

戦時中、日本国内の男性は軍隊にとられ、国内労働力が不足しました。

そこで日本政府は、当時侵略中であった朝鮮や中国からめぼしい男性を強制的に日本に連れてきて、鉱山企業等に引渡し、強制的に労働させたのです。休日もなく家畜以下の扱いを受け、無給でした。

中国からは約4万人が強制連行され、そのうち半分が北海道で労働に従事し、2割近くの人が命を落としました。

北海道での裁判

全国各地で、中国人被害者の救済(国、関係企業の謝罪と損害賠償)を求める裁判が起きていますが、北海道でも1999年9月から、33名の原告により札幌地方裁判所で裁判が行われています。

中国人強制連行の背景

日中戦争が深まり、太平洋戦争も迫った1940年頃、日本は深刻な労働不足に陥っていました。

重要な戦略物資の生産拠点である炭坑や金鉱鉱山、港湾荷役、飛行場建設などには既に朝鮮人が強制連行され、奴隷労働を強いられていましたが、それでも労働力は決定的に不足していました。

そこで企業は、政府に中国人労働者の強制連行・強制労働を願い出、政府はこの要請に応じて、1942年の閣議決定で中国人の強制連行を決定しました。

強制連行・強制労働の実態

1943年4月から1945年5月にかけて、38,939名にも及ぶ中国人が日本に連行され、日本各地の135の事業所で奴隷労働を強いられました。このうち北海道は58事業所に16,282名の労働者(全体の42%)が強制連行されてきました。

満足な食事も与えられず、酷寒の中での厳しい奴隷労働は、中国人労働者の命を次々と奪っていきました。北海道に強制連行されてきた労働者のうち、3,047名が死亡しました。命を落とさないまでも、体に障害を残した労働者は多数に及びます。

被害者救済を私たちの手で

1945年の日本の敗戦により、中国人労働者は強制労働から解放されました。しかし、この間、賃金は全く支払われなかっただけでなく、苛酷な強制労働は彼らの身体、精神に深い傷痕を残しました。

また文化大革命の時代には、日本に協力した売国奴だとして不当な弾圧を受けざるを得ませんでした。戦後、各企業は190億円もの補償金を政府から受け取っています。しかし、現在に至るまで、企業も国も中国人労働者に一切の謝罪も賠償もしていません。
中国人強制連行被害者はいずれも高齢です。彼らの命あるうちに、国と企業の謝罪と、正当な賠償を行わせるよう、皆さんのお力をお貸しください。

一層のご支援を 「支える会」代表 石田国夫

中国人強制連行事件訴訟をいろいろな面であたたかく支えていただいておりますことに心から感謝申し上げます。
この裁判も4回を終え、原告側の科学的な事実に基づいた出張も大旨終了、立証に入り、原告を中国から呼んで証言していただく予定ですので、いよいよ重要段階に入ります。
費用、会員拡大、1人でも多くの方に知っていただくため、一層のご支援をお願い申し上げます。この裁判で勝利の明かりを点すために!

北海道における中国人強制連行・強制労働58事業所所在地

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北海道の中国人強制連行

強制連行総人員数 事業所数 死亡者数 死亡率
全 国 38,953名 135 6,821名 17.5%
北海道 16,282名 58 3,047名 18.7%

北海道訴訟原告の強制連行現場

No. 事業所名 原告数 就労作業 被 告 連行者数 死亡者数 死亡率%
1 三井鉱山
砂川鉱業所
呂文明
他2名
石炭採堀
三井鉱山
435 46 10.6
2 井華鉱業
赤平鉱業所
範壁
他6名
石炭採堀
住友石炭
287 46 16
3 野村鉱業
置戸鉱業所
趙宗仁
他15名
築堤工事
熊谷組
492 24 4.9
4 日本港湾業会
室蘭第三
王端壁
他1名
港湾荷役
新日鐵
202 67 33.2
5 地崎組
東川出張所
任福潤 築堤工事
地崎工業
338 88 26
6 北炭平和鉱業
所真谷地鉱
呉徳明 石炭採堀 433 61 14.1
7 北炭空知
鉱業所赤間鉱
高雲翠 石炭採堀 284 42 14.8
8 鉄道鉱業
神威出張所
王子安
他1名
石炭採堀 391 115 29.4

原告合計33名(うち死亡者5名)


 

原告陳述より

王子安 原告番号32

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私は、日本人労働者と組になって、発破作業をやらされました。

発破をかけてから、しばらく時間をおくべきなのですが、増産を命じられていたので、すぐに採炭現場に突入させられるため、崩落事故も多く、けが人はしょっちゅう出ました。

食事は1日3食支給されましたが、それぞれ、小さなマントウを2個ずつで、原料はトウモロコシとか、豆殻のようなものです。昼食は、ポケットに入れておいたマントウを作業現場で食べるわけです。常に飢餓状態で、栄養失調で倒れる人も多数いました。飢えに耐えかねて、作業現場に行く途中で、木の葉や、畑の葱などをとって食べたこともありました。

趙宗仁 原告番号12

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医務所がありましたが、重病になると診てくれませんでした。知っている限りでは、私たちの中隊だけでも、十数人死にました。その中の1人はまだ病気が重い状態ではありましたが、死んではいませんでした。

しかし、日本人は彼を縛り、木箱に入れ火葬しました。中国人は見ているだけで、止めることは出来ませんでした。本当に残酷でした。この光景を見ていて、とても辛くなり、逃げようと思いましたが、行くあてもありませんのであきらめました。

このような昔の話を思い出すと、とても腹が立ちます。一生かけても忘れがたく、とてもつらい経験です。

裁判を支えて下さい

中国人原告はいずれも老齢であり、物価の違いもあって、訴訟にかかる費用を負担することができません。弁護団も全員が無報酬のボランティアです。訴訟に要する多額の費用をまかなうとともに、この問題を世論に訴えていくために、多くの方々のご協力が必要です。

有志により「中国人強制連行事件北海道訴訟を支える会」が作られました。活動内容は法廷傍聴や勉強会、ニュース発行などです。代表者は石田国夫氏(郷土を掘る会)、加藤多一氏(児童作家)、森山軍次郎氏(大学教授)、会費は年間3,000円です(学生及び全国組織である「中国人戦争被害者の要求を支える会」会員は、1,000円)。

どうか「支える会」に入会していただき、訴訟の支援をしてください。

署名活動も行っております。詳しくは各支部・「中国人強制連行事件北海道訴訟を支える会」事務局までお問い合わせ下さい。


『中国人強制連行事件北海道訴訟を支える会』事務局

〒060-0042 北海道札幌市中央区大通西12丁目ウエスト12ビル5F

浅井俊雄法律事務所内

電話011-261-6202 ファックス011-261-6252

カンパも歓迎します!!

郵便振替/口座番号02710-9-43415

名義「中国人強制連行事件北海道訴訟を支える会」

中国人強制連行の生き証人たち〈写真・文〉鈴木 賢士

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A5・160ページ・本体価格1800円・高文研
在庫あります・・ご注文下さい

内 容
強制連行とは、つまり「拉致」にほかならない。
日中の過去に刻まれたこの歴史事実を、ぜひ知ってほしい!
アジア太平洋戦争で日本が強制連行したのは、朝鮮半島からだけではなかった。
国内の労働力不足を補うため、政府は中国からも連行、軍需工場や鉱山で過酷な労働を強いた。その数、およそ四万人。
それから半世紀余、何の謝罪も補償も得られないないまま年老いた“生き証人”たちを華北の現地にたずね、その現状と声を伝える!
・はじめに
・生き証人の写真と証言が問いかけるもの〈小野寺利孝〉
・中国から強制連行されてきた人たちが投入された日本国内135の事業場
・中国人強制連行──歴史的事実と証言
1. 放置された日本の戦争責任




・ 初めての出会い─劉連仁判決
福岡訴訟弁護団の訪中に同行して
画期的な福岡地裁判決の波紋
農村取材でのハプニング
中国側研究者の話
2. 華北に被害者を訪ねて─証言と肖像





・ 張宝恒さん─連行先=福岡・三井田川炭鉱
劉樹格さん─連行先=群馬県・間組
趙宗仁さん─連行先=北海道・熊谷組
孫徳禄さん─連行先=北海道・熊谷組
陳桂明さん─連行先=福岡・三井三池炭鉱
宋君政さん─連行先=北海道・三菱鉱業美唄
3. 裁かれる強制連行の歴史



・ 一九四五年八月二〇日付の政府文書
『幻の外務省報告書』
全国八カ所で進行する裁判
求められる日本の誠意ある解決 ・あとがき
・参考文献


担当編集者より
新刊『中国人強制連行の生き証人たち』をご案内させていただきます。
アジア太平洋戦争下の強制連行というと、朝鮮半島からの強制連行が頭に浮かびます。じっさい、日本政府の資料でも72万もの人々が強制連行され、日本国内各地の炭鉱や鉱山、土木建設の現場、軍需工場に投入されたのでした。日本人の青壮年のあらかたを軍に動員したため、国内の労働力が払底したからです。
しかし、強制連行は朝鮮からだけではありませんでした。中国からも連行し、やはり炭鉱や鉱山、軍需工場で強制労働させたのです。その数およそ4万人、うち7千人が苛酷な労働と待遇のため命を奪われました。
にもかかわらず、この強制連行・強制労働の実態は長い間闇の中に封じ込められてきました。その全体像がようやく明らかになったのは、いまから10年前、NHKテレビで「幻の外務省報告書」が放映されてからです。以後、謝罪と補償を求めて、被害者による訴訟が提起されました。現在、北海道、新潟、長野、群馬、京都、広島、福岡、東京の8カ所で裁判が進行中です。
強制連行の被害者たちはいまや高齢ですが、それでもまだ多くの人が存命です。本書は、その強制連行の生き証人たちを中国・華北の地に訪ね、カメラに収めるとともに、その体験と訴えを記録したものです。
被害者たちが連行されたときの経緯は、たとえば道を歩いていて突然日本兵に捕らえられた、市場にいたときに日本軍に包囲されて捕らえられた、また「よい働き口がある」とだまされて連れて行かれたといったケースがほとんどです。文字通りの強制連行でした。
昨年秋いらい、北朝鮮政府による日本人「拉致」が大きな問題となっています。人間狩りともいえる「拉致」が、絶対に許されない非人道的犯罪であることはいうまでもありません。しかし歴史を振り返れば、私たちの国もまた政府の方針として4万人もの中国人を「拉致」し、奴隷労働を強制していたのです。
本書カバーの巨石に鎖を巻き付けた写真は、中国・河北省の石家庄(石家荘)にある強制連行の記念碑です。中国人強制連行の事実は、日本人にはあまり知られてはいませんが、中国人には忘れられない痛みとして刻まれているのです。
私たち日本人には辛い事実ではありますが、隣国との真の友好を築くために、一人でも多くの人にこの歴史の事実が知られることを願っています。
梅田正己

穴から穴へ13年―劉連仁と強制連行 早乙女勝元

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価格:¥2,200   草の根出版
在庫あります・・ご注文下さい

内 容
戦時下・青島から強制連行された北海道の炭鉱で、苛酷な労働に耐えられず逃亡。それから13年もの間、終戦を知らず、祖国への帰還に望みをつなぎ、厳寒期にも耐えながら生き延びた。
目 次
第1章 劉連仁を知っていますか?
第2章 札幌で当時のいきさつを聞く
第3章 劉さん発見救出から帰国まで
第4章 港町青島の光と影と
第5章 劉さん父子、大いに語る
第6章草泊村のお宅で考えたこと
さいごに 人権尊重の世界的な潮流

一少年の十五年戦争  神成洋著

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価格:¥2,000 発行 牧歌舎 発売 星雲社
在庫あります・・ご注文下さい
内 容
小学校2年生で旧満州へ移住。昭和20年敗戦。14歳歳だった著者は約1年の浮浪生活を送った。
敗戦前後、「満州」での死者は24万5千人。内18万5千人が民間邦人であった。
自身も生命の危機にさらされ、多くの死に遭った著者が綴る鎮魂の書。
目 次
一 谷間の小さな世界
二 大陸に生きる人々
三 太平洋戦争
四 国境の街
五 戦況の悪化
六 敗戦、ソ連軍占領下の人々
七 厳冬の奉天
八 引き揚げ
道連小樽支部にて1800円(送料込)で販売しております。
メールかFAX、電話にてお問い合せ下さい。
小樽支部 TEL(FAX)・・0134-26-0087
E-mail: info@nicchu-doren.org神成洋著「一少年の15年戦争」について


日中友好協会北海道連副会長  相場 実
この本を読みながら、かたわらに中国東北地方(旧満州)の地図を置いて神成さんの足跡を追った。
小二の時、母とともに釜山に上陸し、朝鮮半島を縦断、丹東、奉天(現審陽)、新京(現長春)、ハルビン、チチハル、克山に至った。国境のまち黒河で小学校を卒業している。
彼が住まいしていた克山農事試験場と小学校は郊外にあり、近くの日本軍守備隊に守られていた。
神成さんと一緒に、二、三年前に訪れたとき、小学校も試験場もそのまま機能していた。
コンクリートのトーチカも残っていて、道を挟んだ場所に解放軍戦没者墓園があった。
コーリャンが実る頃、神成さんたちはたびたび「匪賊」に襲われる。駅舎、兵舎、監獄などが狙い打ちされ、平然と構えている。
中国の雇用人の描写から、政治的に組織された「共匪」ではないか、と私は想像する。
敗戦から引揚げまでの一年間、厳冬期を経験した奉天の神成さんの生活は圧巻である。またしても私は審陽市の詳細図を広げて、追体験に熱中した。
新京南西70キロの公主嶺農学校二年で敗戦を迎えた彼は、学校あげての脱出、解散、独り身の生活、と激動にもまれる。
そうしたなかで生きる全てを得てゆくしなやかさは、東京市ヶ谷下町育ちでつちかわれ、銃火に晒され、鍛えられたことにあるのではないか。
コロッケ売り、日本人街から古着の仕入れ、賭場の借金取り、国府軍将校のボーイ、武器の運搬などで彼は必死に生きてきた。周りは死が日常の世界だ。そして本書は鎮魂歌でもある。
私も小さい頃、父のあとについて北海道の農事試験場を渡り歩いた。父は満州に移りたかったらしい。そうなれば神成さんと巡り会ったかもしれない。本書は私の分身のような気もする。
これから二人とも無事であれば、列車にのって黒河の農事試験場と小学校に行ってみたい。

 

「血価の証言」 富樫利一著

北海道角田鑛における中国人強制労働の実態
元広州医学院の教授・鳳儀萍さんは、14才の時上海で捕まり、栗山町の角田鑛で強制労働させられた。
日本の敗戦まで約1年、多くの仲間が殺されていった。彼はそれを記録し持ち帰った。いま凄惨な実態が明らかになる。
定価2800円のところ、出版記念特別定価として2500円で普及しています。中国人殉難者全道慰霊祭実行委員会で扱っています。

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価格:¥2500(出版記念特別価格・・通常定価¥2800)彩流社刊
送料160円(メール便)
ご注文・お問い合せは小樽支部まで
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